Hinako Journal

ヒナコ・ジャーナル(Over50な妙齢のヒトリゴトやオモウコト)

非感情移入症候群

人はどうして本を読むのだろう。音楽を聴くのだろう。映画やドラマを観るのだろう。「趣味はなんですか」という質問に「読書」「音楽鑑賞」「映画鑑賞」と答えていたが、本当に趣味だったのかと言われると違うような気がする。ジャンルに大きな偏りがあり、また浅く広く嗜むことが多いため、誰かにうまく説明ができない。これで「趣味」と言っていいのだろうかと自分でも思う。

ある時から「恋愛」「家族」を描くものを観たり聴いたりすることができなくなった。たぶん実生活でそれらに痛みを覚えその痛みを心に刻んでしまったからだと思う。描かれる架空の世界で心苦しいことがあれば登場人物に感情移入をする。今その状況になかったとしても同じ体験をすることになったら耐えられるだろうかと想像をして苦しむ。幸せそうな家族があらわれるとなぜか妬みを感じてしまう。そんな歪んだフィルターを通してしか観ることができなくなってしまった。

私は菅田将暉さんが好きだが、未だに「花束みたいな恋をした」は観ることができない。ある程度のあらすじが予め告知されておりたぶん心が痛むことは想像できる。あらすじだけでそうなのに、実際に観てしまったら苦悩や痛みが憑依するかもしれない。だからといってハッピーエンドで終わればいいのかと言われれば、それでは映画として成り立たないことは理解している。U-nextのマイリストには登録しているが多分観ないと思う。ハッピーエンドといえばback numberの「ハッピーエンド」がかかるとスキップして飛ばしてしまう。とても好きな曲なのに聴き続けられない。「あなたを好きなまま消えていく」。そんな大人な美しい別れ方はできない。私だったらきっと泣いて責め続けるかもしれない。そんな想像をしてしまう。

観るものというと洋画や海外ドラマでサスペンスやアクション、時々ホラーやSFを嗜む。洋画や海外ドラマは出演している俳優の顔や骨格、そして文化が異なっていることを無意識に理解し、またサスペンスやアクションのような人生は今のところは体験していないから第三者目線でストーリーを追えるのかもしれない。音楽もできるだけ歌詞の意味をあまり考えずに聞き流す。

どうして人は本を読んだり音楽を聴いたり映画やドラマを観るのだろうか。共感したいからなのだろうか、自分ではない誰かの人生を見たいからなのだろうか。たぶん明確は理由は無く、ただ心を豊かにするものだからかもしれない。ただ、どうしたら大きく感情移入しないでいられるのか。直視せず隙間から感じることができたら傷を負うことなく共感することができるのか。

非感情移入症なだけかもしれない。