Hinako Journal

ヒナコ・ジャーナル(Over50な妙齢のヒトリゴトやオモウコト)

死生観について

生きている意味について考えたことがなかった。死は早いか遅いかの差はあっても100%必ず起きることは認識していながらも漠然としたものだった。私にとって死はそれほど身近なものではなかった。祖父は父方母方両方とも私が生まれたときにはすでに亡くなっていたし、祖母は10代のころ亡くなったが会った回数が少なく、またかわいがられた記憶はなかった。そのため寂しいとかそういう感情はなかった。

死を考えるようになったのは、大学生の時、仲が良かった同級生が交通事故で亡くなったときだった。「ディズニーランド行こうよ」と前日に電話で話したばかりだったのに約束を果たすことはなく目の前から突然いなくなってしまった。これが死なんだと理解した。しかし葬儀には出席したがあまりにひどい事故で損傷がひどかったとのことで顔を見ることはできなかった。私にとっての死は目の前から消えることだった。

先日母が亡くなった。自宅で意識が無くなり救急車の中では心肺停止という言葉が聞こえ、その後病院で心拍がだんだん小さくなりアラームがなり続けその命が消えゆく姿をそばで見ていた。ただ悲しさは感じず正直ホッとした。それは私と母との関係性かもしれないが自身の薄情さのほうが恐ろしかった。死はあっけないものだった。それまでは死はどこか特別なもので自分とは離れたところにあると思っていた。肉親の死を経て、また平均寿命を80歳とすれば折返し地点をだいぶ過ぎていることを思うと決して他人事ではななくなった。

死後の世界がどうなっているのかはわからない。本当にその世界があるのかは誰もが見たことがないはずだが、仏教の考え方では「浄土に行く」「輪廻する」「死んだらそれで終わる」という三つの考え方があるらしい。私には信仰している宗教は無く仏壇やお墓の前で手を合わせるくらいであるが、子供の頃に「死んだら輪廻する」と教わった。悪いことをした際に「現世で悪いことをしたら死後は天国にはいけない」と怒られた。今思えば子供の頃の悪いことというのは、家に帰るのが10分くらい遅れたとか些細なことだったと思うが「いい子」でいるためのある意味「脅し」だったのかもしれない。あと、自分で命を絶つと天国にいけないと教わった。これも現世で何らかの辛いことがあり現実逃避のため死を選んだとしても苦しみが続くから命を絶っても意味がないという教えなのかもしれない。結局のところは肉体がなくなる以外は何もわかっていない。

私は第三者が自身で命を絶つことについて肯定も否定もしない、いやできない。苦しみや悲しみはその人にしかわからないことであり、それをどうのこうの言ったところで何も解決しない。しかし自分の大切な人が命を絶とうとしたら全力で止める。どれだけ近い存在だとしてもその苦悩を受け止めることはできないことは一緒かもしれない。ただ自分の目の前から大切な人が消えることを阻止したいという思いが勝ってしまう。

自分自身の死については漠然としている。いつかは来るものとは思っているが、死にたいと思ったことは基本的にはなかったと思う。しかし消えたいと思うことは何度もあったし今でも時々思う。たぶん肉体を現世から消したいというよりは心や感情を消したいのだろう。また無力感に沈んでしまったときにそんなことを思う。生についても一緒かもしれない。存在意義という人もいるが、それは第三者から見た「私の生きている意味」であり、自身の生きている意味とは異なる。

10代のころに命を絶とうとしてナイフを目の前したが死ねなかった。優しい人には生きにくい世界で、それから長い年月が経ち今の歳になっても10代のころに思っていたことは本質的に間違えていない。それが見極められたのだから生きてきた意味があるということと、10代のときに命を絶ったとしても自分にとって同じだったと思う。その瞬間なのか時間をかけて見極めたかの違いでしかない。

ある人がそんなことを言っていた。

私の10代は自分のことだけで世の中のことを全く考えていなかったため、そこまで感じていた苦しみは共感できても、その真の苦しみまでは私にはわからない。ただ長い時間をかけて見極められたことが生きてきた意味で、しかもそれが10代のころに命を絶つほどの「絶望」と同じであり、これまでの長い時間はどれだけ苦しかったのだろうと心が痛かった。ただそれは絶望だけではなかったと思う。 生きる意味を知るのは命が消えゆくときかもしれないし、もしかしたら知らずに消えてしまうかもしれない。大切な誰かのために生きていたいと思うのも意味の一つかもしれない。何かの気付きかもしれない。人それぞれの生きる意味があり、それに気がついたときは幸せなのかあるいは絶望なのかもわからない。できるのであれば、生きる意味に気が付かなかったとしても最期に幸せな人生だったと思いたい。

それが生きる意味なのかもしれない。