Hinako Journal

ヒナコ・ジャーナル(Over50な妙齢のヒトリゴトやオモウコト)

その曲には何も思い出はないはずなのに

「その曲には何も思い出はないはずなのに」というタイトルだけが下書きに残っていた。何を書こうと思って残していたのかは覚えていないが、きっと伝えたいことがあったのかもしれない。ただ「その曲」が何なのかはわからないがどこかで流れてくるとその当時の思い出が蘇るといったことはよくある。流行っていたころの出来事、思い出の中に組み込まれてた曲、ドラマの主題歌、自分が奏でた曲など比較的意識を持って記憶に留めたものもあるが、日々の中で無意識に感じる曲もあったと思う。

私の子供のころはテレビの中で歌番組が多く放送されており、その中で好きな曲が流れるときはテレビの前にレコーダーを置き「録音するから静かにしてね」とその声も一緒に録音されているというオチがついているが、そのくらい曲を聴くということに対して一生懸命だった。その後はレンタルレコードやCDなどで好きな曲や、感傷に浸りたい時用のバラードなどのカセットテープを作ったりしていた。しかもタイトル一つつくるにもアルファベットの転写シートで格好良くつくるなど一つ一つの曲に自分の思いのようなものを詰め込んでいたことを思い出す。

最近の曲がよくわからない。

こうやって書くと年をとったからと言われそうだが、正直その理由が大きいと思う。「かつて嵐のメンバーがわからないと言っていた親にありえないと思っていたが、今子供になにわ男子のメンバーがわからないなんてありえないと言われる」みたいなことをTwitterでみたが本当にその通りだなと思った。しかし最近の曲を聴いていないわけではなく、現在はサブスクに加入しているのでヒット曲のプレイリストがおすすめに上がっていたりしているので、自分では選ばないような曲が入っておりその中で好みの曲が見つかることがあり幅は広がっている。時代とともに聴き方が変わっているが、大切な一曲を見つけにくくなったような気がする。まあサブスクとかそういうことは全く関係なく、甘酸っぱい人生のイベントが少ないから音楽と思い出が結びつかなくなっているだけかもしれない。

ここまで書いて「その曲には何も思い出はないはずなのに」のタイトルの回収はできていない。けれどback numberのハッピーエンドが流れるとなぜか心が揺さぶられる。歌詞のような経験があるわけではなくその曲に思い出があるわけではないが、歌詞を自分に置き換えては苦しくなる。

 

youtu.be