Hinako Journal

ヒナコ・ジャーナル(Over50な妙齢のヒトリゴトやオモウコト)

人間が嫌いなあなたと私へ

なんとなく疲れていると思う。いつもなら幸せや切なさなどの溢れる思いをここに書きたいと思っていたはずなのになぜか手が止まる。たったこの数行を書くだけでもどれだけの時間がかかっただろうか。

SNSに関わる時間が減った。確かにその時間が取れないことが大きな理由であるが、どちらかといえばあえて避けているかもしれない。心のどこかで人と関わりたくないと思っているのかもしれない。ただ、それは今だからというわけではなく、もともと誰かと関わることを苦手としていた。たぶん人間が嫌いなのだろうと思う。

人は一人で生きているわけじゃないと言われるかもしれない。今までいろいろな人に支えられて今があることは理解しそして感謝をしている。人間が嫌いというのは深く根付いている部分で感じていること。実は口にしないだけで本当はそういう人が多いのではないかと思っている。

人とつながるという言葉を聞く。

つながることはいろいろな相乗効果を見出していき毎日の生活に彩りを添えていく。それを決して否定しているわけではないがその彩りに疲れてしまう。彩りというのは調和しているから美しいわけで意味もなく添えるものではない。その調和の範囲は人それぞれであり、人とのつながりかたも同じようにひとそれぞれなのだろう。

時々苦しいと思う。

それは無言の空気感の中で発生することもある。長年積み重なっていたことかもしれない。この先のことかもしれない。昨日のことかもしれない。今日のことかもしれない。そして明日のことかもしれない。助けを求めたら何かが変わるのだろうか。そのことで誰かに負担を負わせるだろう。でもそれ以上に弱い自分を認めることができない。だから助けを求めること自体が苦しみかもしれない。

少し前壊れかけていたと思う。ただそれは自覚していたからうまく守ることができた気がする。実際は自覚できないことが多く「助け」を求められず重症に陥る。向き合うのは難しい。できるのであれば向き合うことから逃げたいと思う。だから自覚できないという悪循環が生じる。

遠くを見ては虚無感を感じているように見える。何かと葛藤しているのかもしれない。何も信じていないあなたは「助けて」が言えない。どこか諦めて我慢し壊れてしまう。だから壊れないうちにせめて心の中だけでも「助け」を求めたら受け止められるかもしれない。

たとえ人間が嫌いでも、信じていいものがきっとあると思う。

 

あなたと私に伝えたいこと。