Hina Journal

ヒナ・ジャーナル(Over50な妙齢のヒトリゴトやオモウコト)

子育て

今まで子供のことについて書くことは少なかった。特に大きな理由はないがあえて言えば「所有物」ではないからかもしれない。所有物というと言葉は悪いが、子供が感じていた思いなどを私が勝手に外にだしてはいけないような気がした。

息子が社会人となった。

長かったような短かったような、過ぎ去った時間の概念がよくわからない。普通であれば「子育てが終わった」といえるのだろうが、自分のことで精一杯で息子に向き合えていなかったと思う。ひとり親でさびしい思いをさせたかもしれない。だから堂々と子育てをしたとは言えない。それでも、息子が自分のチカラで生きていけるところまで導くことはできたと思う。

今、いろいろな意味でホッとしている。社会人として巣立ったことは寂しさを感じながらもやはり嬉しい。本音をいえば、学費を払うことから開放され金銭面においては私自身のことだけを考ればいい。この先いつまで働けるかわからない今、このことはとても大きい。

子育ての定義

改めて子育てとはなんだろうと思う。

親としての責任を負って、生まれてから身の回りのことがひとりで出来るくらいになるまで子供の世話をすること。

上記は新明解国語辞典で「子育て」を調べたものだが「親としての責任を負って」という重い言葉が書かれている。一つの生命を生み出すことはとても深く大きなことであり、どのよう成長するかは「親」の影響力が大きな割合を占める。それは行動範囲や視野が広がったとしても同じで一番身近なものを感じて吸収していく。やはり親の責任は大きい。

子育てをすることで親としての自覚を持ち、親も一緒に育っていく。

それが子育ての大きな定義なのかもしれない。

「親は偉い」「親の言うことは絶対」「親を超えることは無い」という言葉

上で子育ての定義について書いたが、個人的には親子の間で上下関係はなく、誰でもが子供の時代を経験しており年月が経ち大人になっただけで親が偉いとは思えない。かつて母から「親は偉い」「親の言うことは絶対」「親を超えることは無い」と言われたがどうしても腑に落ちなかった。大人である「親」は人生経験により多くを学んでおりその学びから躾を行う。それは「親は偉い」からではなく「親としての責任を負って」大切なことを伝えなくてはいけないからである。

言葉にするのは難しいが「親」は尊いものであり、また「子供」も尊い。

子育てがどうだったかについて普段意識をすることは少なかった。昨日息子のスーツ姿を見て改めて思い起こしてみて反省点や自己嫌悪を感じたが、あまり後悔はない。これからも今までと変わらず応援するだけだと思う。